うさぎが亡くなりました

8/29に家のうさぎが亡くなりました。

2017年1月24日産まれ、享年5歳7ヶ月で、ちょうど2017年の8/27に家に来てから5周年を迎えたばかりでした。

少し気持ちの整理がついてきたので、ブログでもご報告させていただきます。

以下、また私が自分の記録のために書いてるような文章なのでぐじゃぐじゃです。

ここ数ヶ月は病気がちで、8/27の朝に食欲が少し落ち病院に連れていき、薬を飲んだところすぐ快復して自力でまたご飯や水を摂っていたのですが28の昼に一度急変、歯ぎしりなどもして下痢がちになり、そこからまた夜から朝にかけまた少し快復し自力で摂食しました。快復したときのためにと置いておいたおやつは完食していました。結局それが最期の自力での飲み食いになり、29の朝に全くご飯を食べなくなり水も飲まず病院に連れていき、点滴を受け、水曜日にまた様子を見せてくだいとかかりつけの先生に言われて家に帰り、そこから急激に衰弱して、20時のご飯タイムに強制給餌ですりおろしたにんじんを少量食べたか食べないか、薬を飲んだのを最期に、20時15分ころから痙攣が始まり、16分ころに事切れました。

(最後の時間は、電話の履歴の時間から逆算しました)

28の夜中に病院に連れていけばなど本当にたくさん後悔はあるのですが、あまりうさぎに感情を押し付けたくないので、今はただ粛々と事実を受け入れるだけだと思っています。

感情を押し付けたくない理由は、結局こっちが抱く感情はどうしても人間基準の価値観で、うさぎと対話ができるわけではないからです。

うさぎ基準の価値観がわからない以上、あれこれ考えるよりは、振り返って少しでも多く彼が生きていたということを記録したり記憶したりして遺していく方が、客観的的にみて生きてる側にできることなんじゃないかなと思っているからです。

とは言っていますが、ここからは人間側のエゴ100%の話になります。

私もまずご飯も日曜日の朝ごはんを最後に納骨終わるまで食べてなくて水分も薬飲むためにとった程度なので、2日間夜通し泣いて未だに脱水気味で喉もガラガラです。上記みたいなドライな感情でいられるように努めてはみましたが、無理でした。

いつもお世話タイムは母親と二人で、朝7時と夜20時という決まった時間にやっていました。最期の日の20時に、私が先に部屋に入って薬の準備をしていたくらいのときから軽いしゃっくりのようなものが始まり、次に母親が入ってきて一緒に薬を飲ませて、本当に1mlあるかないかの少量のにんじんをもぐもぐして、本来ならすりつぶしてふやかしたペレットをあげるのがルーチンだったのですが痙攣がひどくなってきて一旦ケージに降ろして、母親が一瞬ペレットを洗い場に持っていったあと、帰ってきた途端数秒のたうちまわり、横になり動かなくなりました。

その直後にかかりつけの先生から、嫌な予感がしたと電話があり、ちょうど今息を引き取りましたと報告しました。

ここまでの最期の瞬間、とても苦しんで亡くなったんだと思って本当にフラッシュバックが辛くてその日は眠れませんでしたが、痙攣は最期に力を抜くと筋肉の収縮が起きて起こるというのを知り少し心が軽くなったので、ようやくブログにも書くことができました。

29日、心配でせめてそばにいてあげたいと午後有給を取ったおかげで最後の日はずっと一緒にいられたのですが、うさぎ専門雑誌のペットロスの記事で飼い主にはうさぎの死に目までずっと一緒にいられるパターンと、知らないところで亡くなってしまうパターンがあって、これはうさぎがどっちのパターンがいいか選んでいるというものでした。

なんでもよく食べ食いしん坊でなぜか薬を飲むのが大好きな子で、寝坊すると母親を起こしに行ったり、7時きっかりに時報と言わんばかりにケージをガジガジしてご飯くださいアピールしたり、時間感覚がシビアな子でした。いつもの時間にに大好きなご飯と薬を飲んだあと、いつも世話してる私と母親が部屋に入ったところで痙攣が始まったので、それまでは頑張って耐えてて、いつもの20時になって慣れた声が聞こえたから安心して力を抜いてくれたんじゃないかなと思っています。

夜中の誰も見ていない時間帯に亡くなっていたら、そっちのほうが多分私は後々引きずったと思います。

あまりオカルトは好きな割に信じていないんですけど、その直後にかかりつけの先生が電話くださったのも含めて、彼なりに色々考えてくれたのかなと思っています。

かかりつけの先生からの電話でペットの葬儀社を紹介され、葬儀社の支持に従いすぐに遺体を保存した(これは私はパニックになって、過呼吸と吃りでまともに発話できなくなってしまい、母親が対応しました)おかげで、夏の湿気のある日でしたが次の日まで遺体は本当に眠っているようにきれいでした。

次の日9時に葬儀社が棺を持ってきたとき、棺に入れるために何度か抱きましたが、痩せて固くなって冷たくなってもちゃんといつも抱っこしてたうさぎそのもので、亡くなってもうさぎがうさぎじゃなくなるわけではないんだなあと感じました。

霊柩車を待っている間、一人だったのでうさぎと色々お話しして、車が家に入ったのを見て、いつものお出かけのときみたいにほら一緒に行こうと声をかけて、一旦葬儀社の話を聞いたあと、ご遺体を確認したいと言われて一緒に客間に向かいました。

納棺の時に、好きなものを一緒に入れてもいいと言われたので、大好きだったチモシーの穂先と、今週分の作りおきのおやつを一緒に入れました。このあたりから葬儀社の担当の方も一緒に泣いていました。

担当の方が本当にお優しい方で、生前はどうだったかをずっと聞いてくださりしました。

出棺のときにちょうど雨が降り出し、火葬場に着いたときに止みました。

火葬は母親と二人で行いました。どうしても棺を炉に入れることができず、見ることもできず、隣の部屋で待ちましたが、それまではかける言葉はありがとうとか元気でねとか送り出す言葉だったのに、ここで言わないともう言う場所がなくなると思い行かないで、ごめんってずっと叫んでいたら過呼吸になり、担当の人と母親に支えられながら火葬場を出ました。うさぎに最期までうるせえ飼い主だなあとか思われてそう……

その後は色々事務的な説明を経て骨拾い、納骨という流れでした。

今回のお葬式、間に挟まる事務的な話が心の休憩時間という感じで、今でも涙が止まらなくなったらお葬式の請求書や料金表を眺めると(なぜか)とても落ち着きます。

骨拾いは担当の方がとても骨に詳しくて骨トークが炸裂し、一番辛いと思っていたけど笑いながら拾うことができました。しっぽの骨とか爪の骨とか背骨の骨とか小さな骨はカプセルに入れてもらって家に連れて帰り、残りの骨は納骨堂に納めました。

胃や腸に入っていたものが内蔵の形に焼けていて、最期までご飯を食べていたんだなあとしみじみと感じました。

今回のお葬式、担当の方の対応が本当に真摯で丁寧で、一緒に泣いてくださって、それまで泣くことしかできなかった私も、やっと笑ったり考えたりすることができました。納骨が終わって、一気に空腹や脱水症状が帰ってきた感じでした。

ちなみに料金はキャッシュで払おうとしたら完全に自分の意思で色々オプション課金しすぎて足りなくなって(平均予算の3倍くらい)ATM走る羽目になりました。最期まで不甲斐ない飼い主でごめん。

全部終わるまでは晴れてて、帰りになって急に大雨が降り出しました。今度は今週の日曜日に法事があるので、その時に会いに行きます。

うさぎの関係でお世話になった人とか、上司とかに亡くなったことを報告したら皆さん優しい言葉をかけて下さり、こんなにもたくさんの人に愛されてたんだなあとそれもとても支えになりました。ありがとうございました。

家のうさぎはあまり愛情表現が上手とか