プリキュアの映画を見た


(ちゃんと埋め込めてるかな?できてなかったらあとでパソコンから直します。)

みました。ラストダバダバ泣いてマスクぐっしょぐしょになりました。

心配だから全員でポプリ探しに行くハートキャッチ勢とくるるん完全放置のトロプリ勢の対比とか汽車から降りておしりパンチするまなつにマジかこいつ……みたいな顔をするさんごちゃんとか、雪だるま先輩とか笑いどころが多かった気がする。汽車のシーン急にあすみのを見せつけるんじゃない。

一点、気になったことがあったのでそのことに対する考えを自分の中で整頓する記事。がっっつりネタバレ。

ローカルだとどうしても独りよがりになって根拠を調べなくなるから、とりあえず記事に。

「トロピカってる」っていうの、私は「今しかできない、今やりたいことを精一杯やる」って意味だと解釈してて、今回の映画でもまなつがローラに「ローラは今何をやりたい?」って聞いてたからイコールでないとしてもアニメのテーマとしてはこれだと思ってる。そう考えたときに、シャロンの「笑顔でいっぱいの国にしたい」って客を国に閉じ込めるのはある意味ではトロピカってると思った。

(トロピカってるの意味には「他の人に迷惑をかけない範囲で」っていうのが当然含まれてるんだろうけど、これはメタ的には当たり前だけど思ったまなつの言葉に含まれてるのかわからないので保留で)

シャロンの「笑顔でいっぱいの国にしたい」って願いのために行動したのに対して、プリキュアが立ち向かっていったことはトロピカってるの否定に繋がる、ひいては作品のテーマに対するダブスタでは?って思ったんだけど、ラストまで見たらそうじゃないのかなと思った。

多分、トロピカってるの対義語であり類義語が「後世まで伝える」ってことなんだろうな〜。シャロンのやり方が間違ってる!って否定するだけではスノードロップの雪解けは来なくて!シャロンの「トロピカりたい」って「やる気」に対して、そのトロピカりたい心を後世まで伝えるから、伝えられるくらいその思いは届いたから、トロピカりたい気持ちには「いま」全力で応えるだけじゃなくて、「これから」も長く伝えていくってアプローチもあるんだよ、って映画だと感じました。

で、このメッセージが観た人にはどういう形で伝わってほしかったか?って、いうと、このコロナ禍の中で、実際は例えば行きたいところがあるのに行けないとか、友達に会いたいのに会えないとか、どうしてもトロピカれない状況が増えてると思うんだけど、今トロピカれなくても、思いが強ければ絶対これからに繋げていけるから、希望を持とうって映画だったんじゃないかな、と私は思いました。

シャロンは消えてしまったけど(たぶん、あれはマイルドにしてるけど死の表現だよね)スノードロップは咲き続けるし、歌は歌われ続ける。恒例のエンディングテーマがメインテーマアレンジなやつも、いろんな形で歌い続けられてきた結果って思ったらもうエモくてエモくてオンオン泣いた、という話でした。